皆さま、あけましておめでとうございます。本年も阿弥陀様の慈光照護のもと、どうぞよろしくお願いします。さて、今年からこのブログをシリーズ化しようと思います。そこで第1弾として、お寺から毎年皆さまにお配りいたしておりますカレンダー、光國寺においては「直枉会」が発行しておりますカレンダーになりますが、そのカレンダーに載っております標語を紹介しながら、月ごとに仏さまのお心を味わっていきたいと思います。
2024年 令和6年1月の標語
【阿弥陀様は今ここに うれしい時も悲しい時も】
皆さま、阿弥陀様ってどういう仏さまかご存知でしょうか。皆様とお話しをしていると阿弥陀様に対する誤解があるように感じます。「もうそろそろお迎えに来て欲しい」とおっしゃる方がおられますが、阿弥陀様に対して誤解があるんだなと思います。その誤解というのは、阿弥陀様は【私が命終わる時にお迎えに来てくださる仏さまだ】という誤解です。実は、阿弥陀様は私が命終わる時にお迎えに来てくださる仏様ではないんです。
お経の中には、命終える時にお迎えに来てくださる仏さまだよと説いてあるお経もあります。どのような内容かというと、命終える時に正しくお念仏しているもののところに迎えに行くよ、と説かれているお経です。正しくお念佛すると言うことは、合掌の姿をきちっとして、口にお念仏、南無阿弥陀仏を称え、ここにはただひたすら阿弥陀様を思って命を終えていく、そういったもののところに阿弥陀様がお迎えに来てくださるんですよ、ということです。それぐらいなら出来そうに思える方もおられるかもしれません。もちろん出来る方はされたらいいと思いますし、それをとめるつもりもありません。しかしそのためには一度できるかどうかシミュレーションしたほうがいいと思います。
【自力念仏の救い】
先ず体、身体ですね、姿勢を正して、ただもう御臨終を迎えようとしているわけですから、床に寝てると思います。寝ながらのままで手は合掌です。次に口にはお念仏、南無阿弥陀仏を称えます。そして、心には阿弥陀様をひたすらに思い浮かべると言うことです。その時にほかの事は一切考えてはいけません。そのようにして臨終を迎えると言うことです。これを一度してみてください。皆さんはできますでしょうか。私は無理です。そもそもいつ命終えるか分からないのに、できるかどうか分かりません。
今年は元日から地震が起きました。今地震が起きるなんて思ってもいないわけです。そして其の地震で命落とすとも思っていない時に、地震が来て、「あ、いよいよ臨終だ、よし、合掌して、口にナマンダブツ、こころには阿弥陀様のことを思う。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ、」私にできるとは思えません。2日の日の航空機の事故では、機長さんは突然機体が爆発して燃えたとおっしゃったそうです。亡くなられた5人の方は、あっと思う間もなかったようです。そんな時に「あ、いよいよ臨終だ、よし、合掌して、ナンマンダブツ、こころには阿弥陀様のことを思う。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ、」なんて思う間もなかったわけです。
それがたとえ私が老衰で、布団の上で命終える時でも、こんな風に出来ない自信があります。どうしてそんな自信があるかというと、そんな修行をしていないからです。普段から、その臨終の一瞬にかけて、ひたすら修行してできるかどうかです。なのにろくに修行もしていない私ができるわけないのです。修行とはそういうことです。命終えた時に阿弥陀様にお迎えに来ていただいて、間違いなくお浄土に連れて行ってもらおうと、そのためには、この一生を懸けて、その日のためにイメージトレーニングを欠かさず、実践をしていくということです。私はしていません。なので無理なのです。
【浄土真宗の阿弥陀様】
私たちが手を合わす阿弥陀様、もし命終える時に先ほど言ったような正しい者のところへお迎えに来てくださるというような阿弥陀様だったら、手を合わせることができますでしょうか。臨終に正しくお念仏なんてできそうにもありません。ということは、私のところへはお迎えには来てもらえない。だったら、そんな阿弥陀様に手を合わせてどうなるんですか、ということです。
だから勘違いなんです。誤解しているんです。何を間違っているかと言えば、命終えるときにお迎えに来てくださるというのが間違いなんです。できないことを私たちにしなさいというような阿弥陀様ではないんです。
はなからそんなことはできないことはおわかりな訳です。ではどうされるか。先に迎えに来てくださっているんです。私たちの阿弥陀様は、私が命を頂いたとその時から、私のもとへ来てくださって、そして一緒に人生を歩んでくださっているんです。おぎゃあと生まれたときには、すでに阿弥陀様が迎えに来て下さっていたということです。では、私たちのお念仏はどういう意味があるのでしょうか。迎えに来てくださっているのですから、「ありがとうございます」といえばいいんですね。お願いしますという必要は無いということです。もうすでに阿弥陀様のお救いの中にあったと言うことです。これからお救いが来るわけではないのです。私の人生すべてを、阿弥陀様がご一緒くださる人生です。だからありがとうございますという気持ちで、ナンマンダブツを称えます。ありがとうございますと、お仏壇にお参りいたします。
阿弥陀様がご一緒くださるから、いつもハッピーという訳ではありません。うれしいこともあります。しかしこの度のように自然災害で悲しみ、事故で茫然自失となり、また事件に巻き込まれる苦しむことになるかも知れません。そのすべてが、私の人生です。またその私の人生すべてにご一緒くださっているのが、阿弥陀様です。
【阿弥陀様は今ここに うれしい時も悲しい時も】
浄土真宗本願寺派・光國寺住職・石黒 大


