【御衣黄桜が咲きました】

お寺の門をくぐった先にあります御衣黄桜が咲きました。

いつもの白色やピンク色の桜も好きですが、この黄色と緑色の筋の混ざった黄緑色の味わいもとても良いものです。「御衣黄」という名前の由来は、「楚々(そそ)清らかで美しいさま」とした風合いが貴族の衣服「御衣」の萌黄色(もえぎいろ)に近いため、ということらしいです。

開花の期間は長くありませんが、いつもの桜とはまた違った楽しみ方ができますので、お近くにお越しの際は、ぜひ一度お立ち寄りください。

大阪府豊中市 浄土真宗本願寺派・光國寺 有澤

【今年もここで桜に出逢う】

みなさま、こんにちは。

今年もあっという間に4月です!はやい!こわい!おそろしい!

3月は雨も多くあまり暖かくならなかったので、お寺の桜の開花もとてもゆっくりな年となりました。私は3月の最終週に天満橋で桜クルーズというものに参加しましたが、見事に「花見」ではなく「枝見」でした。どこを見ても枝!枝!枝!で自分でもちょっと笑ってしまうことでした。

そんな今年ではありますが、やはりお寺に桜が咲きますと「あぁ今年もここで桜と出逢いましたなぁ」と咲いた桜とそんな挨拶をすることでございます。また去年から今年への一年のことを思いながら「この一年も色んな縁の中で過ごさせてもらったな」となんとなく手を合わせる心もチラホラ顔を覗かせることであります。

そんなことを思いながら出逢う桜なのですが、きっとみなさんにも「今年もここで桜に出逢う」ということがあるのでは?と私は思うのです。それは、毎年同じ場所で見る桜といいますか、自分の桜といいますか、そこには人それぞれに自分の特別な桜があるように思います。時の流れを感じるもよし。色んな縁を感じるもよし。きっと私たち日本人にとって、桜とはなんとも不思議で時に感慨深く特別なものなのかもしれません。

そして、そんな自分の桜と今年も出逢いながら、去年から今年への一年、また来年の桜に思いをはせながら「これまでも、これからも色んな縁とともに歩ませてもらうのだろうなぁ」とそんな心がチラホラとまた顔を覗かせることであります。

それではよろしゅう、よろしゅう。

浄土真宗本願寺派・光國寺 有澤正行

【工夫する楽しさ】

みなさまこんにちは。

先日お寺で使う蝋燭に関しての作業をしていました。お寺の永代経法要や報恩講法要では「和蠟燭」を使用します。その蝋燭も使いまわしをせずに、毎回「初事である」という気持ちを込めて、その都度新しい蝋燭に火をつけます。当然、途中で使い終わってしまいますので、あまりがどんどん増えていくことです。そこで、近年はカートリッジ交換式の蝋燭をいうものがありますので、使い終えたカラのカートリッジに法要使用で余った和蝋燭を良いサイズに加工して新しい蝋燭として再利用しています。

ひとつのものをできるだけ最後まで使い続けることは大事な心得です。もちろん「勿体ない」ということでもありますが、私個人的には「工夫をする楽しさ」を大事にしています。

工夫というのは「あれこれ考えて(自分にあった)方法を探す」ということです。最近では「SDG’s」という言葉があるように、何でもかんでも消費して捨ててしまうだけでなく、長い目で見てゆく中で、世界規模で継続して良く過ごしてゆける世界を目指しています。そんな中、小さなことでも細かなことでも、工夫して過ごすということは、みんなが良く過ごしてゆける世界へと続いてゆくのではないかと思います。

そしてまた、ここでいう楽しさは「ある程度それで納得する」ということです。世の中なんでもかんでも自分の思い通りであれば、工夫はいらないかもしれません。しかしながら、なかなか自分の思い通りにはいきませんので、工夫しながらある程度納得することは必要ではないでしょうか。もし、うまくいってそうな人がいたならば、もしかしたら「ある程度で納得している人」かもしれませんね。

全て完璧にとはいきませんし、たぶん自分が目指し、想像した結果にはならないかもしれませんが、それでも自分の出来ることから、工夫をしながら楽しませてもらったらよいのではないでしょうか。

それでは、工夫をしながら楽しんで「あたらしい蝋燭」を作っていきたいと思います。

浄土真宗本願寺派・光國寺 有澤正行

どうしようもなく残暑のきびしい~!

9月に入って「お?朝晩は涼しくなってきたやん?」と思って昼間への期待を膨らませていましたが、そんな考えは甘っちょろかったです。暑いー。。。

しかし、こればっかりはどうしようもありませんね。

そう思うと、お天気だけでなく、私の生活においても「どうしようもないこと」は多くあります。それこそ仏教でいう「生老病死」もそうかもしれません。時が経てば老います。病気も気を付けますが、かかる時はかかってしまいます。そしていつの日かこの世の縁を離れる時がきます。

そして、生きること自体も実は「どうしようもないこと」の一面をもっています。何か使命をもって、何か目的をもって生きることは社会生活にとって必要なことでありますが、それでも常に前向きに、ひたすら頑張り続けて、踏ん張り続けて前に進むことは容易なことではありません。「もうダメだ」「辛すぎて嫌だ」ということはありましょう。

そんな時はどうしましょうか?前向きになれる本を読む、良い言葉を聞く、見る。様々な解決方法は世の中には提示され、それらを実践することもひとつです。もうひとつ浄土真宗から提案するとしたら「仏様に聞いてもらう」ということができます。

人間、自分のダメだと思っていること、嫌だと思っていることを自分で抱えておくことは、とてもとても難しいです。ですから自分にとってそれが「ダメなこと嫌なこと」になっています。そんな時は誰かに聞いてもらってください。そして、よかったらお寺に来て仏様に聞いてもらってください。阿弥陀という仏様は慈悲の心をもって辛く苦しい心をそのままを受け止めて下さいます。「そうかそうか、そうかそうか」とそのまま聞いてくださいます。

そうやって、ご縁のある方と一緒に、そして仏様と一緒に、たまにはそんな時間を過ごしてみてもええんじゃないですか。と私は思います。

それではまた、お寺にてお待ちしておりますので、どうぞどうぞお参りください。

大阪府豊中市・光國寺 有澤正行

お盆も終わって、ふと振り返りました。

みなさま、こんにちわ。8月も終わりに近づいて朝晩は少し涼しくなってきました。7月の始めに更新をしてからご無沙汰しております。どうもどうも。

7月中旬から8月いっぱいにかけては、お参りも多くバタバタと走り回っておりました。そんな中で色んな方のお話を聞かせていただき、また色んな方にお話しをさせていただいた日々、自分の精一杯は勤めれたかと自画自賛しております。

はい、思い上がりました、すみません。💦

そんなお盆の時期でしたが、振り返ってみますと、やはり様々なご縁に恵まれたと感じることです。それはひとつに浄土真宗でいう「おかげさま」という言葉に納まります。「おかげさま」というのは「何か感謝するべきものである」ということではなく「あなたのおかげで、○○させてもらえました」ということです。あなたのおかげで今日もご飯がいただけます。あなたのおかげで今日もお参りさせてもらえます。おなたのおかげで今日も一日過ごさせてもらえました。そういうことです。

それはまた、目の前にあること、日常のこと、それらのことが何でもかんでも当たり前ではなかったなぁと見えてくることでもあります。「あなたがおって、わたしがいる」それは、わたしだけが生きている世界ではなく、私という命は様々な「ご縁」と共に生きているのだと、この世界が少し広く明るく見えてくるものだといいます。

南無阿弥陀仏  

大阪府豊中市・光國寺・有澤正行

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