光國寺について


光國寺の由緒

光國寺は多田源氏の御家人・石黒右京進という人が出家して、一乗律師と法名し真言宗の道場を建てたのがはじまりと言われています。その建立年月日につきましては、「古来より開基年歴委細知不申候」とあり、その詳細については不明ですが、史料によりますと明徳二年(一三九一)七月に池田光重が鐘楼と梵鐘を奉納し、その梵鐘を藤原秀安が鋳造したと記されています。従って、それよりも以前に寺院は建てられたということがわかります。

十五世紀に入りますと、各地に浄土真宗のみ教えを伝播する動きがあり、そのみ教えのわかりやすいことから豊島郡(光國寺の組内周辺)の寺院の多くが浄土真宗に転宗しています。こちらも史料によりますと、当時の光國寺の住職も本願寺蓮如法主の奉論に接する機会があり、その御法流に感銘をうけ、従弟となり、願生と法名しました。その折、法主っから御文(御文章)と法主御自筆の「南無阿弥陀仏」の六字名号を頂戴し、十五世紀末には真言宗から浄土真宗に転宗し、浄土真宗のみ教えを地域の門信徒に伝えるための道場として再興したと記されています。

続編集中


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