
直枉会カレンダー 12月標語・法話
皆さんこんにちは。師走となり、朝夕の寒さが身にしみる季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。
さて、今月の標語を味わってみたいと思います。
2025年(令和7年)12月の標語は、
「不平こぼすこの口から 南無阿弥陀仏がこぼれる」 です。
私たちは日々の暮らしの中で、つい不平不満を口にしてしまいます。なぜでしょうか。
仏教では「人生は苦なり」と説かれますが、この「苦」とは単に苦しいという意味ではなく、「思い通りにならない」ということを表しています。
生・老・病・死の四苦八苦という言葉がありますが、「生まれることも苦」であると言われます。それは、自分の意思で生まれる場所や時代、親を選ぶことができないからです。人のいのちは、何一つ思い通りにはならないところから始まっているのです。
現代では、インターネットや動画を通してさまざまな考え方に触れることができます。しかし一方で、同じ価値観や意見ばかりが表示され、異なる考えに触れにくくなる傾向もあります。その結果、「自分とは違う考えがある」という事実そのものを忘れてしまい、社会の分断が進んでいく――これは決して他人事ではありません。
仏教は、私たちの人生は「縁」によって成り立っており、自分の力で思い通りになっているものは一つもない、と教えます。不平がこぼれるのも、その思い通りにならない現実を生きているからこそでしょう。
しかし、その不平をこぼすこの口から、「南無阿弥陀仏」というお念仏がこぼれ出てくださるのです。
さとりから最も遠いこの私の口に、さとりそのものである阿弥陀さまが、声となって現れてくださる。ここに、阿弥陀さまのお慈悲が表れています。
私たちは、自分の力だけでは仏さまのもとへ向かうことができません。だからこそ阿弥陀さまは、「私の方から迎えに行こう」と、いのちをいただいたその時から、ずっとご一緒くださっているのです。
不平のこぼれる日常のただ中に、阿弥陀さまはいてくださいます。不平をこぼしたその後に、「ここに阿弥陀さまがいてくださる」と、心新たに南無阿弥陀仏とお称えしたいものですね。
不平こぼすこの口から 南無阿弥陀仏がこぼれる
2025年12月の標語でした。

大阪府豊中市・光國寺・住職 石黒大

